雨引山境内の西端の丘陵上に一本の古木が聳えている。その名称を

   「龍杉(りゅうすぎ)」と称している。

 別名玉体杉とも云う。龍とは天皇さまをたとえて申すことばである。
 天平の昔、聖武天皇の后光明皇后さまのご安産を祈念して、西の方(かた)・木崎(后)の丘に向かって修法した際、西の方向の目安とした大杉が境内に聳えている。
 この大杉こそ玉体杉と呼ばれた大木で、本堂(観音堂)から木崎が丘(后が丘)を望む境内の端に位置し、古来から聖木として尚(とうと)んで来た樹木である。
 遙かなる西の方延長線上にある奈良の都に向かって、当山の僧侶は暁闇の空を画して聳える玉体杉(龍杉)に、光明皇后の美しいお姿を思い描いて「御安産の修法」をいたしたのかと思うと、龍杉(玉体杉)木崎ヶ丘の因縁も一幅の画中に収まって、遙かなる奈良の都と直結した古代絵巻が甦り来る思いがいたします。
 現在の龍杉は五代目であるが、今に至るも青々とした枝を茂らせて神秘の彩(いろどり)を保っております。
 去る10月31日、東京芝のプリンスホテルでの、チベットのダライラマ法王猊下の講演会に招かれて参りました節に、奈良の中宮寺の門跡さまである三条西猊下と歓談いたしましたが、お美しい尼公さまの優しいお言葉の中に、ふと光明皇后さまの面影を感じました。
 ひょっとすると、雨引山楽法寺客殿の衝立(ついたて)に描いてある光明皇后さまの面影と、三条西上人をダブッて感じたのかも知れません。

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