二月は陰暦(旧暦)の一月であるので、旧正月に因んだことを申し上げます。
 私は当山住職の世代でいえば中興三十一世であるが、私より十六代前の住職堯宗の時のこと。
 一月二十八日深夜、俄に観音堂が震動し、御本尊延命観世音菩薩の尊像が自然開帳によってそのお姿を現わされた。
 それは・・・正に驚天動地の感激的瞬間であったと思う。
 貞享元年(1684)一月二十八日のことであった。  当時の雨引山楽法寺住職堯宗の日記は次のようにしたためている。

  貞享元甲子歳正月二十八日夜 本堂震動して秘仏自然に開帳あり 前代未曾有の事
  参詣の緇素(しそ・僧侶と一般の人・筆者註)踵を接し袂を連ね庭上に充溢(いっぱいになる・筆者註)す。

 とある。このことは・・・科学的に説明の出来ない宗教的世界の現象である。
 それから三百十三年後の平成九年七月二十八日午前十一時、私は前記の堯宗さんの経験なさったことと全く同じような現象を雨引山楽法寺収蔵庫の内部で体験する幸福を得たのである。
 その事実関係を縷々説明することを省略するが、その座に列座した者は観音さまの霊験にうたれて、しばし言葉を失うような状態であった。
 時空を超えて三百十三年目にこのような奇蹟をお示しになるとは・・・
 言葉や世のなかの常識という世界のなんと幅の狭いものか・・・
 と、つくづく思わざるを得ません。観音さまは今に生きていらせられるのであります。
 観音さまの功徳を説いたお経は、妙法蓮華経観世音菩薩普門品というお経であり、その中に幾多の奇蹟が説かれていますが、現実に奇瑞を拝した感激というものは正確に表現することは出来ません。
 書家の榊莫山先生の随筆の中に「秋篠寺の大弁才天女の瓔珞が風もないのに動いた」という話がありましたが、千古の秘仏というみ仏さまは「うつし世」の常識を超えた存在であることはたしかであると、つくづく想うのであります。
 弘法大師さまは弁顕密二教論のなかで「言断心滅」という表現で「仏さまの世界」をお説きになっていられますが、吾々の思慮を超えた精神世界があるということを常に私共は考えるべきであります。